これ、あれ、しか言えない状態ではじまった上海生活。
大学の留学生楼に宿泊しました。
英語がしゃべれるのだろうと高をくくっていましたが、残念、、、町の人はほとんど、しゃべれません。
大学の先生や教務課の人が何とか喋れたので、寮へ入り、勉強する授業に登録させてもらうことができました。
同室は、私より2つ上の韓国人のお姉さんでした。
私以上に、無口で、笑 孤独思考のお姉さんは、それでも、私に優しくしてくれました。
最初は、二人で英語でやり取りしていました。
けれど、授業が進むうちに、いつの間にか、中国語で会話していました。
最初の方は、食事も大変でした。
なにせ、これ、あれ、しかいえない。学食のおばさんが、英語をしゃべれるはずもなく、、
オールジェスチャーで、食事をゲットしていました。
その当時は、学生食堂の床も掃除が行き届かないところがあったりしたため、
床もおっかなびっくりしながら、泥んこの水たまりを避けるような気持ちで、、、食堂を縫って歩いていた覚えがあります 笑
すっかり、温室育ちになっていたため、野生感が目覚めていく感じがしていました。
でも、学生食堂の食事は美味しかったのを記憶しています。
そう、仲間もできて、あるお店のタンツーパイティオをみんなでよく頼んで、
何のしがらみもなく、童心に帰ってワイワイいって食べていたことが昨日のことのように思い出されました、。