不動産業はじまりました
不動産会社の宅建業免許が下りました。
これから、少しづつ、お役に立てる不動産業を始めていきたいと思っています。
よく、志 という言葉聞きます。
始めるとき、試験を突破するとき、 心の中に、 やはり何かあると、遂げやすいかもしれません。
不動産は、人を助けます。
親の死後も、息子、娘を助けます。
素晴らしい財産。
家族が幸せになる、、そんなお手伝いができたらいいな、と思います。
もちろん、賃貸・売買、問わず、 ご用命いただいたところから、お手伝いさせていただこうと思ってます(^.^)
中國での生活をスタートしたときのこと
これ、あれ、しか言えない状態ではじまった上海生活。
大学の留学生楼に宿泊しました。
英語がしゃべれるのだろうと高をくくっていましたが、残念、、、町の人はほとんど、しゃべれません。
大学の先生や教務課の人が何とか喋れたので、寮へ入り、勉強する授業に登録させてもらうことができました。
同室は、私より2つ上の韓国人のお姉さんでした。
私以上に、無口で、笑 孤独思考のお姉さんは、それでも、私に優しくしてくれました。
最初は、二人で英語でやり取りしていました。
けれど、授業が進むうちに、いつの間にか、中国語で会話していました。
最初の方は、食事も大変でした。
なにせ、これ、あれ、しかいえない。学食のおばさんが、英語をしゃべれるはずもなく、、
オールジェスチャーで、食事をゲットしていました。
その当時は、学生食堂の床も掃除が行き届かないところがあったりしたため、
床もおっかなびっくりしながら、泥んこの水たまりを避けるような気持ちで、、、食堂を縫って歩いていた覚えがあります 笑
すっかり、温室育ちになっていたため、野生感が目覚めていく感じがしていました。
でも、学生食堂の食事は美味しかったのを記憶しています。
そう、仲間もできて、あるお店のタンツーパイティオをみんなでよく頼んで、
何のしがらみもなく、童心に帰ってワイワイいって食べていたことが昨日のことのように思い出されました、。
初めての投稿
こんにちは。
少しづつ、日常のことと、宅建のこと、あっとランダムに、好きに書いていこうかと思います。
私は、神奈川県に生まれ、川崎のお大師様の近くで育ちました。そのあと、父が実家の家業を継ぐということで、
長崎へ引っ越しました。
高校の時から海外に行きたいという思いがありましたが、運よく、スチュワーデスになることはできたため、私の海外体験がこの時から始まりました。
数年務めていると、毎年、乗客が増えている国がありました。それが、中国でした。
そこで、日本からも近く、同じアジア圏で、かつ、英語が通じるだろうという安易な観測から、、、上海へ留学を決意したのでした。